寸延短刀 南紀重国 茶塗柄藍鮫鞘合口拵
Detail :
南紀重国は、大和手掻派の出身で詳細は不明ながら、新刀初期の最も有名な刀工の一人です。慶長年間に徳川家康に抱えられ、当初は駿府で作刀していましたが、頼宣に従って和歌山に移っています。和歌山に移ってからは大和伝の作品がほとんどですが、駿河の頃は相州伝の作品が多く見受けられます。十一代重国の文久二年(1862)の由緒書によれば、寛永二年(1625)に紀州家から将軍家に重国の刀と脇差を献上したことが記されています。
この寸延短刀は、平造で身幅があり、重ねがやや厚く反りのない独特の姿で、異風な素剣と腰樋に添樋の彫物があります。良く詰んだ、明るく輝くような板目肌は流れごころで地形が豊富に入っています。匂口の明るい刃文は、やや湾れた互の目乱れは変化に富み、小さな沸に大きな沸がからんで金筋や細かな砂流しがしきりにかかり、観ていると時間が経つのを忘れるくらいです。相州伝でも江を写したものでしょうか。重国には長銘が刻まれた駿河打ちの有名な短刀が何点かあるのですが、佐藤寒山博士は、それらを選ばず、この短刀が最も優れているものとして「寒山押形」に所載し「素剣重国」という号を付けています。重国には華やかな相州伝の作刀もありますが、保存状態、品格と出来栄えではこの短刀が白眉と思われます。
茶塗柄藍鮫鞘合口拵
細川三斎の愛刀であった「彫抜盛光」の拵のバランスを参考にして新作された、肥後形式の合口拵です。三斎が使用した天正頃の栗方は鯉口に近い位置に付けられていましたが、現在はこのような拵は見つけることができません。鞘は藍鮫の研出、柄は革巻にして茶色の漆で塗り込めています。後藤家の目貫、西垣二代勘四郎永久の大小柄を用い、栗方鵐目は金無垢、時代下緒で格調高くまとめています。
