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京透は、六代将軍足利義政の時代にはすでに存在していたことが、寛政七年(1795)の「本邦刀剣考」に記されています。京透かしと言えば、一般的には菖蒲八ツ橋、将軍草や梅樹などの雅なデザインを思い起こしますが、最初期のものは、尾張鐔のように左右シンメトリでやや薄く、細い半月形の櫃穴のあるものです。このようなデザインは絵風なものと平行して以後も踏襲され、京らしく繊細で貴族的な雰囲気のものになっていきました。この鐔は、発生当初のシンメトリックな構成ですが、初期の槌目仕立てではなく、磨き地で、しかも尾張鐔のような力強い印象を受けます。このようなものを、「大五郎」と呼ぶ傾向がありますが、「大五郎」とは幕末に近い文化文政期に作られた京透のことで、それよりは時代があり、交通の便が良くなり、各地の情報が手軽に手に入った江戸時代の初め頃の製作ではないかと思われます。鉄色も良く、大きくしかも保存状態も上々で、透かしには雰囲気があり、愛蔵に足る、楽しめる作品です。








