鉢木図に秘められた主君への思い

透鐔の意匠には、美しい意味や思いが秘められています。それは、ときには、古今和歌集や伊勢物語などの古典文学にちなんでいますが、鉢木図は、ある、忠義な武士にまつわる話に由来しています。本日は、「鉢木図に秘めた武士の思い」に迫ります。

鉢木図鐔に込めた侍の思い

雪輪、桜花、梅樹に松の図の鐔は、「鉢木図」と呼ばれており、肥後鐔の図にあります。この図は、神吉深信か楽寿によって描かれた「神吉鐔絵本」に載っています。赤坂鐔にも、この鉢木図は表現されています。それは、肥後金工の作品が大流行したことで、江戸の赤坂四代忠時以降から鉢木、梅樹、遠見松など、肥後鐔のデザインを写した透鐔が作られています。

神吉鐔絵本 鉢木
神吉鐔絵本 鉢木

このデザインのアイデアの元となったのは、「鉢木」と呼ばれる物語です。

「今からおおよそ700年ぐらい前の鎌倉時代、時の執権北条時頼が、出家姿に身をやつして諸国巡歴の折に、山本の里(現在:佐野の里という)にさしかかり、大雪にあい貧しい農家に一夜の宿を求めました。宿の主人は、一族の者に領地を奪われて、この地に至り農業で暮らしている佐野源左衛門常世という武士でした。落ちぶれた身の上を語るうちに、いろりの薪が尽きて火が消えかかろうとしている時、継ぎ足す薪がないので、常世は自慢のみごとな梅・桜・松の鉢の木をくべて、この旅僧に暖を取らせて精一杯もてなし、今はこのように落ちぶれてはいるが、鎧と刀と馬は大切にしていて、一旦鎌倉から号令がかれば、いち早く駆け付け、命を懸けで戦う決意を語りました。その後、突然、鎌倉から諸国の軍勢に号令の触れが出ると、常世は大切に残しておいた古鎧を身にまとい、刀を手にし、痩せ馬にむち打って、いち早く馳せ参じたのです。すると、常世は北条時頼の御前に呼び出され、時頼は「あの雪の夜の旅僧は、実はこの私である。言葉に偽りなく、馳せ参じてきたことをうれしく思う。」と言い、常世の忠節を賞し奪われた本領を旧に復し、さらに薪にした鉢の木にちなんで三箇所の庄園、加賀の梅田、上野の松井田、越中の桜井を与えました。そして、常世は面目をほどこして山本の里へ帰った」というお話です。