Detail :
志水家は、平田彦三の甥であった初代仁兵衛に始まり五代目の茂永で金工としての終焉を迎えています。五代茂永は、生年は不明ですが、没年が嘉永七年(1854)であることから、神吉深信とは同世代の金工であったと思われます。当時は熊本のみならず、江戸でも甚吾風のものが流行っていたことから一世を風靡していたことが伺えます。これは茂永の功績であり当時は高く評価されていたことがわかります。この鐔は、やや歪んだ志水伝統の木瓜形で雷雨の中、大きな傘をかざして足早に通り過ぎる人物を表現しています。平地には斜めに強弱のある時雨鑢を突き、金布目象嵌の雷は先が丸くなり何かに襲いかかるようです。人物は肥後独特の黒四分一、傘は素銅の据文で表面右下の心地よい場所に配置されています。この図は志水初代にもありますが、その後はこの五代茂永にしか見られません。茂永は茎穴の上下に特徴的な穴を開けますが、70歳以降はそのような穴がなくなり、一般的な茎穴の形状になります。このことから、この鐔は70歳以降の作品であることがわかります。この鐔はストーリーがあり、素晴らしい構図と鉄味は魅力的で名作です。








